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更田委員長職員訓示(東京電力・福島第一原子力発電所の事故から11年にあたって)

令和4年03月11日
原子力規制委員会委員長 更田豊志
 東日本大震災、そして東京電力・福島第一原子力発電所事故の発生から11年が経ちました。
 事故の記憶を風化させてしまわないためにも、今日は職員の皆さんに事故のことを考える時間を持っていただきたいと思います。
 事故は多くの人の人生を変えました。環境回復や廃炉にはまだまだ長く困難な道程が残されており、私たちは連日、これからのことを考えているのですが、過去を振り返り、東京電力・福島第一原子力発電所事故をどうして防ぐことが出来なかったのか考え続けることも、私たちにとってとても大事なことです。
 大きな被害を招いた事故や災害も、後から振り返って見ると、実はそれよりも前に同様の事例があったということは、しばしばあることです。例えば、2001年の米国における同時多発テロについても、その2年前には我が国で刃物を武器に操縦席に侵入するハイジャックが起きており、米国でも大きく報道されていました。そのときに教訓を得て行動に移しておくべきだった、備えの強化に繋げるべきだったというのはよく見られることなのです。
 
 私たち、原子力規制委員会が避けようとしているのは、つまるところ、不作為による失敗、何かをやらないことによる失敗なのです。不作為、何かをやらないでいたために事故のような大きな失敗を招いてしまうことを避けたいのです。
 行動をとる、実行に移すまでの過程には、まず個人のレベルで幾つもの落とし穴があります。例えば、楽観幻想。つまり、物事を甘く見てしまう。問題はあっても大したことはないとつい考えてしまう。そして、自己中心的な解釈。自分に都合の良いように考えてしまう。さらに、将来を軽く見る。今やらなくてもと先送りする。大きな変化はそうそう起きないと考えて現状維持を望む。そして、痛い目に遭わないと実行に移せない。これらについては、皆さんも日常生活でしばしば感じることがあると思います。私たちはこういった認知上のバイアスを持っているのだという自覚が必要です。
 
 次に、組織のレベルでの落とし穴です。組織が行動を起こすには、まず、情報を集めます。そして個々の情報を分析し、統合、組み合わせて、何かをしようとか、何かをした方がいいという洞察、insightを得ます。そしてその洞察に基づいた行動を起こします。この過程でも幾つもの落とし穴があります。
 例えば、情報を統合する際に、最もシンプルなケースでは、組織内のさまざまなメンバーが、それぞれパズルのピースは持っているのだけど、全部をもっている人はいなくて、そして、誰がどのピースをもっているか、誰にもわかっていないとき、情報は正しく統合されず、洞察に結びつきません。
 情報の収集、分析、統合にあたって注意すべきことをもう一つ。わかりにくい情報や曖昧な情報が大量に流れ込むと、議論の輪郭が曖昧にされ、行動に繋がる洞察を得ることが、阻害されてしまうことに注意すべきです。現状維持を望む勢力がいる場合には特にそうしたことが起きやすく、ひとたび「この問題には結論がなかなか出ない」という印象が生まれると、議論はとたんに鈍り、行動に繋がる洞察は得られなくなってしまいます。
 そして何より、組織が行動をとらずに終わってしまう原因で深刻なのは、行動に移す動機が組織内に欠けているケースです。失敗を防ぐのに必要な洞察が組織内に生まれていても、動機が欠けていたり、その行動が自らの組織にダメージを及ぼす可能性があったりすると、行動を避けてしまいがちです。
 行動への躊躇いを除くためには、事故のような失敗を振り返り、起こった過ちが繰り返されるのを防ぐために、教訓を組織の「制度」に組み込む必要があります。
 
 
 次に、これは3年前にもお話ししたことですが、もう1回繰り返したいと思います。それは、勇気が必要かも知れないけれど、とにかく声を挙げて下さいということです。
 人は自らが属する組織や仲間を信頼すること無しに生きていくことが難しい。仲間を信頼するということは自らの安心のためにも不可欠なので、人は自ずと仲間を信頼したいという指向性を持ちます。職場における信頼関係はとても重要であり、信頼し合うことは良いことですが、ここにも落とし穴は潜んでいます。
 私たちは、事故が起きる前、組織やシステム、あるいは権威というものを信頼し過ぎてはいなかったか。信頼を通り越して依存していたのではないでしょうか。
 自分はよく理解できてはいないけれど、きっと仲間の誰かがちゃんと理解して、きちんとやってくれている筈だとか、専門家と呼ばれる人がたくさん集まって話を聞いているのだから、おかしなところがあれば必ず誰かが指摘してくれる筈だとか。
 規制という仕事では、説明を聞いておかしいと思ったら指摘するという立場になることが多いのですが、きちんと理解しないで説明を受け容れてしまっても、少なくともその場は収まってしまいます。
 もちろん、一人ひとりがすべてを理解するなどということはあり得ません。しかし、自分の持ち場、自分の責任範囲に関しては、理解に向けて出来る限りの努力をすることはもちろんですが、疑問を持ったら、おかしいと思ったら、あるいは、理解できない、わからないと思ったら、声を挙げる義務があるのです。
 仲間の誰もがこういう指摘はしていないからとか、上司が異なる意見だからとかで声を挙げないというのは、年齢や経験などに拘わらず、あらゆるレベルにおいて責任放棄に等しいと考えていただきたいと思います。原子力規制委員会は、誰もが声を挙げることができる職場というよりも、必要なときは、誰もが声を挙げなければならない職場であろうとしているのです。
 実際に失敗が起きた後には、人にはその失敗から距離を置きたいという動機が生じます。だから、それまで沈黙していたにも拘わらず、「私はああ言っていたのに。警告していたのに。」と言い出しがちです。
 一方、失敗が起きる前には、現状に疑問を持っても、この現状はコンセンサスの上に成立している筈なので多くの人が賛成しているのだとか、その現状を生み出したリーダーが多くの情報に基づいて判断をしたのだとかと考えてしまい、エネルギーを費やして、批判される心配を乗り越えて、声を挙げる動機が生まれにくい。失敗が起きる前に声を挙げるには勇気が必要なのです。
 原子力規制委員会と原子力規制庁との間でも同じことです。5名の委員は、優秀な職員がちゃんとやってくれている筈と信じ込んでしまわない義務を負っていると考えています。規制庁の皆さんは、委員の見解や主張に対しても、疑問を感じたらそれをぶつけることが大切です。衝突を恐れない姿勢こそが委員会を救うことになると考えています。互いを尊重しているからこそ、衝突も恐れない。それこそが私たちの目指す信頼関係です。安全神話を乗り越えるために必要な強い信頼関係です。
 
 事故の発生から11年が経ちました。原子力規制委員会は初心を忘れることなく、安全神話の復活を決して許さないということを誓って、私の訓示とします。

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