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田中委員長職員訓示(東京電力・福島第一原子力発電所の事故から5年を迎えて)

2016年3月11日
原子力規制委員会委員長 田中俊一

東日本大震災から今日で5年です。5年前も金曜日でした。目を閉じてみますと、震災で犠牲になられた方々への追悼の気持ちと同時に、震災時の情景がまざまざと浮かんでまいります。そして、あれから5年経った今日も、なお17万人を超える方たちが、避難生活を続けられていることに、胸が痛くなります。

震災の被害を思うとき、私の心に去来しますのは、少年時代に駆け回った山々をいろどる桜と新緑の風景です。これからの季節、会津の山々の彩りは雪解けと共に日々変化し、その中でも春を真っ先につげる桜は気持ちを浮き立たせてくれます。今も目を閉じたときに浮かぶのは、会津の山里に咲く桜です。それは私にとって会津が「ふるさと」だからです。

会津からは少し離れますが、浜通りにも、多くの人に愛されている桜の風景があります。その中で最も有名なのは、富岡町・夜ノ森の桜です。およそ2000本のソメイヨシノがあります。左右に並ぶ「桜のトンネル」と呼ばれているこの場所では、福島原発事故が起きるまで、毎年4月に桜祭りが開催されていました。夜にはライトアップされて、出店が並び、全国からたくさんのお客さんが来ました。

事故の後も、桜は毎年咲きます。事故後もテレビで報道されていますが、人の気配が全くない風景です。事故で放出された放射性物質のために、「桜のトンネル」は帰還困難区域になったからです。

昨年、富岡町では満開の時期に合わせて、住民を乗せて夜ノ森の桜のトンネルをバスで見に行ったそうですが、放射線被ばくが心配で、バスから降りることなく、通り抜けたそうです。今年も、昨年と同様のことを計画しているとお聞きしました。

さて、事故から5年たった今だからこそ、被災地の現状を知らなければなりません。そうした思いをもって、私は昨年10月、先ほど登場しました持丸総括と金城福島第一事故対策室長とともに、避難指示の対象となっている12市町村と、及びいわき市、伊達市を個別に訪ねて回りました。

そこでは、福島第一原発の廃止措置の進捗状況と規制委員会の取り組みを説明し、住民が帰還にあたって抱える課題について、各自治体の代表者とじっくりと意見を交わしました。 その時お聞きした声は、たいへん切実なものです。

帰還が進む地域においては、これまでより放射線量がより高い環境でどう生活をしていくのか、という具体的な悩みが出てきていることが、わかりました。そしてその悩みは、放射線そのものへの不安というだけではなく、仕事、医療、教育、地域コミュニティーの再生への不安といった面が大きいことも、わかりました。

こうした問題に、私たちはどうかかわっていくべきでしょうか。できることはたくさんあります。

まず、福島第一原発が住民にとってこれ以上不安の原因にならないよう、引き続き廃止措置に全力を尽くすことです。そして、個々人の被ばく線量をモニタリングし、生活環境の追加除染などを行う取り組みが、より実効的なものになるよう、常に改善を考えることです。

さらに、避難を解除する基本となる、線量マップの充実に取り組むことも重要です。年末に試験的に測定を試みた双葉町中心部と富岡町・夜ノ森地区の詳細な線量マップをみると、除染がまだ手つかずの帰還困難区域であっても線量は、相当下がってきていることが分かってきました。

夜の森の桜の下で再びお花見ができるようにするためには、こうした地道な積み重ねが必要です。復興プランを前に進めようとする自治体に寄り添いながら、私たちも一緒に歩んでいきたいと思います。

さて、いま振り返ってみますと、原子力規制委員会・規制庁が発足した時には、重い責任に気持ちが焦るがゆえに、先が見えないこともありました。ときに厳しい批判もありましたが、就任から今日まで私を支えているのは、「福島のような事故を二度と起こさない」という強い誓いです。

改めてここに立ち、みなさんの顔を見て、同じ思いなのだと確信、確認しています。4人の委員をはじめ、規制庁に身を投じた皆さんも、固い信念に基づき、志をもって、それぞれの仕事を果たしていると感じます。

最近、国際会議などに出席しますと、「日本の規制委員会・規制庁はAmazingだ」と言われることがあります。Amazingは、日本語にすれば、「びっくりさせるような、あるいは驚嘆すべき」という言葉です。

「どういう意味でしょうか?」と尋ねましたら、「世界を震撼させるような重大な事故を起こした日本が、今後どのようになるのかという思いをもって見ていたところ、短い時間で、組織を作り、基準を作り、審査をするところまで到達したことが驚きであるという意味だ」ということです。

国際社会に大きな迷惑をかけた日本人としては、複雑な気持ちにもなりますが、職員のみなさん一人一人が、それぞれの責務に励んできたことに対する国際社会の率直な評価として、静かな誇りをもって受けとってよいと思います。

最近は、事故後の混沌とした状況からは抜け出せたかもしれないと思うこともありますが、私たちの前には、まだまだ新たな課題が山積していることを自覚しなければなりません。昨年は、川内1号機、2号機の、今年に入り高浜3号機の運転が再開されました。昨日、高浜3号機は停止しましたが、私たちの責務は、規制を担う者として、原子力発電所の安全を確保するために厳格な審査を粛々と進めることに些かも変わりはありません。

先日の国際原子力機関による総合規制サービス、IRRSでも、「運転段階に入ると検査が重要になる」という指摘をされましたが、稼働時の安全確保は、極めて重要な課題であり、これまでの検査制度の見直しを図ると同時に、規制庁の検査力量の向上に向けた取り組みを強化していかなければならないと考えています。

みなさんも目を閉じたときに心に浮かぶ桜がありますか?それは、ふるさとの桜ではありませんか?

富岡町から遠方に避難した人の中には、今年も桜の季節に合わせて、夜ノ森の桜を眺めるために、ふるさとに帰省する人がいるそうですが、バスの窓越しではない桜を、1日も早く見せてあげたいと思うのは皆さん共通の願いだと思います。そのために、私たちが何ができるのか、そしてこれ以上、そんな悲しい景色を見る人を作り出さないために、私たちは何をすればいいのかを、3月11日を機に改めて考えて頂きたいと思います。

本日は、事故から5年ということで、私たちが今後、どのような思いを持ち、何をしなければならないかを一緒に考えてもらうために、できるだけ多くの皆さんに集まって頂きました。

私たち原子力規制委員会と規制庁に課せられた責務は重く、厳しいものですが、誇りをもって、臆することなく、一緒に挑戦することを誓って訓示とします。

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